夏時間に変わったヨーロッパでは、日が暮れるのがぐんと遅くなるせいで、4時といっても日本でいえば3時ごろの太陽だ。
アレックスは幼なじみのマルコとテニスをしている。
あたしといえば、いつもは家にいるんだけど、今日は本を持参でついてきた。こんないいお天気に家にいるなんてもったいない。
家族経営のこのテニスクラブには、テニスコートがたった2つと、サッカーフィールドが1つあるだけだ。管理人はここで軽食堂も兼ねている。
もと農家を改造したのだろう、大きな屋根の張り出した建物には、更衣室とカフェ、中と外にテーブルが置かれている。
あたしから見て、テニスコートは生垣を隔てたあちら側にある。萌黄色の新緑の枝の隙間を、アレックスとマルコの肩が通り過ぎる。
ラケットがテニスボールを打つ音が交互に聞こえ、合間合間に2人の声が割って入る。
「ごめん」「よっしゃ」「ナイス!」「うまい」「ごめん」
謝ってばかりいるのはうちのアレックスだ。あたしは、ちょっと笑う。

隣の牧場の方から、風が吹いてくる。牧場では牛が草を食んでいる。風に乗って、牛の首につけたベルの音が届く。牛の数だけある、金属のベルの音色。やけに元気な牛がいて、ひときわ大きなベルの音を響かせている。
少しだけ木陰の落ちる、絶好の場所にブランコがあったので、そこに座ることにした。
3つあって、高さが順々に高くなっている。真ん中のブランコの下の地面だけ、つま先で掘られた大きな穴があいている。
一番高いブランコは、子供用ではない。座ってみると、あたしでも足が地面につかなかった。しかし、これはいい気持ちだ。あたしはブランコをぶらぶらさせながら、本を読み始めた。
本は、イタリアのジャーナリストが書いたもので、ページのむこうにはナポリ湾がある。
そこに出入りする巨大貨物船舶が長い列を成している。ナポリ港で荷下ろしをした船舶は、船内の清掃を終えたところだ。ゴミはきれいにゴミ箱へ、つまり海に捨てられるのだという。一見美しいナポリの海には、黄色のスポンジ状の泡が岸にそって浮き、てらてらと七色に光る膜に覆われた水面をしているという。
早朝には、積荷が税関を通過する前に、小さなボートが沖に浮かんだ貨物船に向かう。スポーツシューズの最新モデルをボートに満載して、港に帰る。それらは非課税分だけ割安で販売され、ヨーロッパの市場に散って行く。(Roberot Saviano "Gomorrah" 第1章より)

本を閉じるとそこには、さっきと変わらぬ春の風景があって、あたしはほっとする。
ブランコの隣には滑り台がある。滑り台にまるで屋根を作るようにして、大きな木が立っている。葉の形はイチジクに似ていると思ったが、イチジクが果たして喬木だっただろうか?
側に寄ってみると、はたしてそれはイチジクだった。実がなっている。大人になってから好きになった果物。イタリア風に生ハムを添えて生のイチジクを食べるのもいいが、ドライフルーツにしたものにクルミを挟んで食べるのもおいしい。

管理人の軽食堂のテラスに、人が入り始めた。コップとイタリアのビール「モレッティ」の瓶を両手に持ったおじいさんたちだ。ピーナッツとピスタチオの殻を割りながら、長年こうして集ってきたのだろう。

アレックスとマルコがテニスを終えて戻ってきた。「引き分けだった」と嬉しそうなアレックス。テラスでビールを飲むおじいさんたちを見て、アレックスとマルコは顔をほころばせた。「飲んでもいいよ」とあたし。「どうする?」「飲むか」。
土曜日だしね。いいんじゃない。もうちょっとくらい、待ってあげよう。
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