人口の9割がキリスト教徒で、義務教育のカリキュラムにもモラル教育と名のついた「宗教の時間」があるイタリア。*
カレンダーにある祝日に始まって(年間の祝祭日11日のうち、7日間がキリスト教理に基づいた祝日なのだ!)、ゆりかごから墓場までの宗教行事にと、国民生活のすみずみまでキリスト教が入り込んでいる。
以下がキリスト教の禁じること、いわゆる十戒。
- わたしのほかに神があってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の妻を欲してはならない。
- 隣人の財産を欲してはならない。
これに加えて、キリスト教は、同性愛を禁じてきた。

(c) yuki106|写真素材 PIXTA
こういった宗教教育や伝統のもと、画一的思考と嗜好をもつに至ったイタリア国民の渦のなかで、同性愛者となった者の苦労は計り知れない。
(個人的に同性愛者の知り合いもいるので、つい同情票が入るのだが。)
(個人的に同性愛者の知り合いもいるので、つい同情票が入るのだが。)
歴史的にキリスト教では、同性愛は重大なる性的逸脱として非難され、迫害されてきたという背景もある。
これはあたしの主観だけれど、今でも、同性愛者を批判する風潮は他国より強いと思う。
例えば最近、ベルルスコーニ首相(74歳)が少女好きを指摘されて、
「ゲイ(同性愛)になるよりも少女好きのほうがいい」と恥知らずなコメントをしたとき、
国民には否定派とおなじくらい賛成派がいたことを肌で感じた。
逆にイギリスでは、同性愛には寛容だが、少女を好む者は変質者とみなされることが多々あり、これはこれで困ったものなのだが。(日本はその点甘い。いや、皮肉でなく事実として。)
それをはねのけて、イタリアで同性愛者と名乗るためには、相当な苦労を覚悟しなければならないか、社会的パワーが必要だ。
ご存知だろうか、現代イタリア人の同性愛者といえば、まずこの面々。
ジョルジョ・アルマーニ
ジャンニ・ヴェルサーチ
ヴァレンティーノ・ガラヴァーニ
フレンチェスコ・モスキーノ
サルバトーレ・フェラガモ
ドメニコ・ドルチェ&ステファノ・ガッバーナ
ほかが壊滅状態の(笑)イタリアの経済を文字通り支えているファッション界の重鎮が、ほとんどそうだ。
歴史的な芸術家でも、 ルネッサンスの3大芸術家たち
ラファエロ・サンティ (大公の聖母/聖母子)
ミケランジェロ・ブォナローティ (システィーナ礼拝堂/ピエタ像/ダビデ像)
レオナルド・ダ・ヴィンチ (モナ・リザ/最後の晩餐)
彼らすべてが、同性愛者だったという。
見ればまさに、イタリアの経済と文化を築いてきた、イタリアの顔ともいうべき錚々たる人物ばかりではないか。
思えば、キリスト教文化と同義語あつかいのイタリア史の大きな柱が、
その教儀に反していると目された同性愛者の彼らによって支えられてきたとは、なんという皮肉、そしてなんとも胸がすくような痛快さではないか!
ダヴィンチの「モナ・リザ」が実はジョコンダ婦人と偽った、彼の愛人の男性を描いたものだった、という噂もあるように、
世界を牛耳る男性たちが、キリスト教のカーテンの裏側でジョコンダ婦人のようなアルカイックスマイルを浮かべているとしたら、イタリア人に惚れてしまいそうになる。
注* 他の国、例えばイギリス、にも宗教の時間はあるが、イギリスでは「全宗教」について学ぶのに対し、イタリアではカトリックのみの教えを学ぶ。異教徒の児童/生徒は、親の意向があれば免除される。
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