4/30/2010

なんだろう【トリノの聖骸布】?


ウワサのトリノの聖骸布のについて解説しています。
一般展示のウラ情報コチラへ。

以下の青字はサイト内の詳細情報にリンクがかかっています。ご興味のある方はご覧ください

***
200万人の巡礼者たちが待ち望んだ最新の肖像を備え、21世紀最初の聖骸布展示がトリノ(イタリア)で行われている。
その「布」は、2002年に大規模な復元作業が行われて以来、初めて衆目の触れるところとなった。

復元により、布に写し出された痛みに苛まれる「人物」像がはるかに明確になり1532年のシャンベリーでの火災による傷にも修繕の手がはいった。


聖骸布とそこに映し出された「謎の人物」は、トリノ市の一員である。それは、万人の所有物であると同時に、トリノ人の宝である。

それは劇的な映像として世界に目撃された。1997年4月11日の夜のことだった。
何千もの市民が燃えさかるチャペルを見つめ、大聖堂の前で悲嘆に暮れたあのときだ。

過去の聖骸布展示(1978、1998、2000年)にも、トリノ市民のなんと半数が大聖堂の裏手のGiardini Realiから長い長い列を作ってきたし、
毎回の 聖骸布展示に先駆けて、文化的、商業的、芸術的運動のイニシアチブが率先してとられ、実行されてきたことからも明らかである。

何百人ものボランティアたちが、展示を助け、
文字通り世界中から訪れる巡礼者たちを案内し、車いすを押す姿からも、トリノと聖骸布の強い絆が見える。
(以下引用)
しかしこれは、いったい理解し難い現象である。

何十年もの間、世間一般の人々は一体どこに大聖堂があるのか、それすら知らなかった。

何かの折りに人々の口の端にのぼるとしても、聖骸布と
文化(そう呼ぶと仮定して)、トリノのミステリー、秘密結社や、聖杯伝説などと関連づける者は、ほとんどいなかった。

聖骸布が存在するということが伝わっているだけだった。

それはまるで、トリノ市民がこぞって、この深淵なるミステリーをより深いところに隠しているかのようだった。
それも長きにもわたって。

1898年の写真のネガの発見以来、 聖骸布にむけられる関心は増し、
化学分析によってさらなる興味を呼んだ。

しかし、それ以前は、「布」は他の多数の聖遺物同様ひとつの信仰対象であって、しかもさほどよく知られてはいなかった。

というのは、布の「王家の聖遺物」としての性格が強かったせいであり、
それは実際サヴォイ王家の繁栄と衰亡に浅からず関連している。

聖骸布はサヴォイ家とトリノに守られてきたのだ。
(引用ここまで。La voce del popolo speciale 10 aprire-23 maggio 2010)




近年、聖骸布に関する知識は、花粉同定分析、放射性炭素年代測定法、
立体映像分析、そして血液分析等、科学研究対象の分野が拡大するにつれ、 急速に広まった。

ところが、謎は氷解するどころか、逆に深く、さらに複雑になっていくように見える。

それはまるで、科学はこの聖骸布の秘密を解くための正攻法ではないと示唆しているかのようだ。

人の知るわずかな知識や、科学界の発見は「布」に関する理解に直結してくれはしないし、さらなる謎を呼ぶだけなのだ。


聖骸布関連 

聖骸布とその秘密

【聖骸布とそこに映った謎の人物 】

これについては、数多くのサイトで詳しい解説があるようですので、

私からは
ウィキペディア「聖骸布」
こちらのリンクのみとさせていただきますね。

おすすめのサイトがありましたら、リンクをはらせて頂きます。ご一報を。


展示されている聖骸布 2010年

【科学調査】

聖骸布は、その発見以来、キリストの遺骸を包んだ布であると言い伝えられ、信じられてきた。その真偽については、明らかになっていないが、これまで一般公開された機会に専門家による科学的調査が進められてきた。


1898年にアマチュア写真家によって撮影された聖骸布の写真のネガに、磔にあった人物の像がはっきりと写っていることより、聖骸布伝説の信憑性は一気に高まった。


1973年の調査では、聖骸布から死海周辺の植物の花粉粒が発見される。そこには
現在は絶滅した種の植物(イエスの時代には存在していたもの)も含まれていたという。

その後の調査で、布から発見された血液はAB型であることもわかっている。

信憑性に疑問を投げかけたのは、1988年の調査で、
これには放射性炭素年代測定法(炭素14法年代測定法)が使われた。

鑑定結果、布は1260年〜1390年の間のものと結論づけられた。

しかし同時に、この検査結果には反論も多く、
布に長年にわたって付着しているバクテリアの皮膜が検査結果に影響した、
また、過去の修復部分を抽出してしまったのが原因だ、などと言われ、
事実上、検査結果は今もって受け入れられていない。

つまり真偽のほどは明らかになっていない・・・。


聖骸布関連 

聖骸布〜焼失の危機

【トリノ大聖堂の火災と聖骸布】

5世紀前のシャンベリーでの火災と同様、聖骸布を守るべき教会で炎が燃え上がった。

1997年4月11日金曜夜、翌日土曜日に30ほど前の深夜のことだった。
トリノの空は、大聖堂のドーム屋根を覆って燃えさかる炎で照らされた。

火はドーム下の円筒外壁にあった作業用足場から発生、急速に建物内部へと燃え広がり、王宮の西翼へと手を伸ばした。


聖なる亜麻布は、1532年のシャンベリー火災と同様、聖櫃に鍵のかけられた状態で眠っていた。
(現在その木製の聖櫃は「聖骸布博物館」で展示されている)

布は、折りたたまれずに、心棒に巻かれた状態であり、さらに大聖堂内主祭壇の背後に建設されたシャッターと防弾ガラス製の聖遺物箱に安置された状態だった。

その夜は、消防士たちが聖遺物箱に強力なジェット噴射の水を浴びせてはいたが、建物の崩落の危険は増すばかりだった。

聖骸布の安置される礼拝堂は、司祭室の真上、改修工事用の足場のパイプが組まれているところにあり、それは膨大な熱を帯びて湾曲していた。

聖骸布の入った木製の聖櫃をとりだし火から救うために、防弾ガラス製の聖遺物箱は、 巨大な鉄のハンマーで粉砕された。

4月14日の夕刻には、亜麻布の検査の結果、聖骸布の無事が確認された。



【ビデオ】
(1分くらい待って、ダウンロードがかなり進んだ状態でスタートしたほうがいいですよ。イタリア語のみですが、雰囲気は十分伝わります!)
Youtube





聖骸布関連 

聖骸布とサヴォイ王家

聖骸布がサヴォイ家(Savoia, Savoy,サヴォワとも書く)の所有となったのは、1453年。

以降、聖骸布は、当時サヴォイ公国の首都で宮殿のあったシャンベリー(フランスとスイスの国境近く)にて保管されていた。

ところが、1532年12月4日未明、聖骸布が安置された礼拝堂を焼く火事が発生する。

この火事によって、銀の櫃の中で折りたたまれていた布が、熱によって四隅を消失してしまう。

その後、聖骸布を所有する最後の王家としてサヴォイ家は発展をつづける。

1861年、イタリアが統一した際、サヴォイ家当主ヴィットリオ・エマヌエレ2世がトリノを首都としたイタリア王として即位する。

1946年の第2次世界大戦終結に伴い、イタリアの王制は廃止され共和国制となり、同時に最初で最後の統一イタリア王国の同王、王家一族は国外追放となる。

聖骸布は、1983年、サヴォイ家当主ヴィットリオ・エマヌエレ2世の死去と、その遺言によって、ローマ法王に所有権が引き渡された。

故人の希望通り、聖骸布はトリノに留まることとなり、現在はトリノ大司教の管理下に置かれている。





聖骸布関連 

聖骸布一般公開 2010年

【聖骸布展示 予約】
じつは予約がなくとも拝観することは可能です(無料)。


正式ルートで拝観なさりたい方は、公式サイトでオンライン予約をしてください。
公式サイトへのリンク

予約のある方は、教会裏側の公園からの入場となります。
館内では短い映画を見たあと、聖骸布を近くで目にすることができます。同時に、聖骸布のためのご祈祷も受けることができます。

予約のないかたも、教会正面のドアから入場ができ、この場合は椅子に腰掛けて遠くに 聖骸布を見ることになります。(個人的にはこちらの方がラクな気もする?)

【展示の日程】 
2010年4月10日から5月23日まで、イタリア、トリノ市のドゥオモ、聖ジョバンニ・バプテスト教会(Cattedorale di San Giovanni Battista)
で一般公開されています。(地図は一番下をご覧ください)

【写真撮影、飲食は禁止】
どちらの場合も、写真撮影は禁止です。


トリノの位置



ドゥオモの地図



聖骸布関連 

4/27/2010

おいしいジェラートはどこに?

世界で一番のレモン・ジェラートを見つける!
(これまた大それた・・・!と思った方は、以前のエピソードへ

決意はしてみたものの、どうやったら
星の数ほどあるレモン・ジェラートのなかから、おいしいジェラートを探し出せるのか。

やみくもに食べていても、きりがないもんねぇ・・・
写真素材 PIXTA
ところが、ある日突然ひらめいた☀ 

「ジェラートのことはイタリア人に聞け。」




  イタリア人は、おいしいもののこととなると、絶対に聞き逃しません。
ごはんをお腹いっぱい食べている時の話題が、食べ物のことなんだからねぇ・・・。


「ねえねえ、おいしいジェラテリア(ジェラート屋)、知ってる?」この一言で、OKです。

みんな、家の近くに、会社のそばに、実家のある町に、
自分のお気に入りのジェラテリア(ジェラート屋)を持っていて、さらに
おいしいジェラテリアの開拓に余念がない。
写真素材 PIXTA
(c) gretriever写真素材 PIXTA

だから

❖世界一のジェラートの見つけ方❖
クチコミ


口コミでリストを絞ります。
続いて・・・・

4/23/2010

世界一のレモンジェラート

「世界で一番おいしいレモンのジェラートを探す!」
という壮大な計画をたてた。

写真素材 PIXTA
(c) マナミ写真素材 PIXTA

事のおこりは、ん年前、
ローマのナボーナ広場にある一件のバール(カフェ)のレモンジェラートを食べたのがきっかけ。
あたしは、そこのレモンジェラートと恋におちた。

以来、ジェラートを食べるたびに、あこがれの人を忘れられないような気持ちで、ローマのことを思った。ほかの味よりも、レモンが恋しくてレモンばかり食べた。

****
そして2年前のこと。
用事でローマに行ったおりに、またあのジェラートを食べる機会がめぐってきた。
わずかな空き時間を利用し、私とアレックスはナボーナ広場のジェラートをめざした。

前にも来たことがあるローマ。案内人(アレックス)はイタリア人。
なのに、私たちは道に迷い、さんざん迂回したあげく
スペイン広場の階段を降りたところで、時間と体力が尽きてしまった。



ナボーナ広場には辿り着けなかった。ジェラートは幻と化してしまった。
****


またあのジェラートをローマで食べるには、「2ユーロ+飛行機代」がかかる。
だったら、ウチの近くでおいしいジェラートを探せばいい。
 アレックスは、あたしを慰めるために、そう言った。

4/16/2010

モナコとラファ・ナダル

モナコで開催されているテニストーナメントを観戦してきました。


モンテカルロ・ロレックス・マスターズ(公式サイト) 2010
で。
ラファエル・ナダルくんの写真をとってきました。
テニスをしている人なら必ず知ってる、スーパースターの23歳。




あたしの行った日には、ナダルくんは試合がなかったので、お会いできないと思っていたのに、意外なところにシャッターチャンスがあった・・・

その日あたしは、会場から散歩に出て、外を歩いていたんです。

そしたら、たまたま会場の上の方へ行く道があって。その道が、会場のなかの練習場の真上に出た。

ナダルくんはそこで、練習してたというわけです。



そこ、ほとんど人はいませんでした。犬の散歩してるひととか、ロードバイクに乗ってるひとくらい。
すごい穴場を、偶然見つけちゃったわけですね。
下を見ると、さすがスーパースターだけあって、ナダルくんの練習場の周りには、人・人・人の波。


練習場は緑のシートで囲まれてるので中は見えないから、唯一視界が得られるドアのところに人が殺到して、大騒ぎになっていました。

あたしは、本当に運がよくて、真上からナダルくんのサーブを写真におさめることができました〜!本当にラッキー!

一緒に行ってたのに、散歩には出なかったアレックスも、ほかのテニスクラブの人たちも、
「えーーー!うらやましい!!」
ほっほっほ。そうでしょ、そうでしょ。

これなんて、
ナダルくんが、テニスボールでサッカーのリフティングしてるんですよ。

知ってました、ナダルくんのお父さんおじさんってプロサッカー選手で、ナダルくん本人も12歳くらいまでサッカー一筋だったって?
 
そんなわけで、もし、モンテカルロ・マスターズに行かれる方がいらしたら、

ぜひ、練習場が一望できる、
Avenue de Franceという道に足を運んでみることをお勧めします。
意外な有名選手が見られること、請け合いです。 カメラも忘れずに。


2009年のテニストーナメント 「クイーンズ ブリティッシュ・テニスシリーズ」の時のJ. フェレーロ、A.ロディック、J.ブレイクの写真はコチラの
Tennis Tournament photos
アルバムへどうぞ。記事は後日アップします!

「ウインブルドン」の写真もありますよ。ウインブルドンはカメラが壊れちゃったので、いい写真はないですが・・・

4/14/2010

自販機とお地蔵さま

日本の自販機は、一種のお地蔵さま的癒しを与えてくれるということに気がついた。

写真素材 PIXTA
(c) brazil69写真素材 PIXTA

あの煌々と白色光を放つ箱が夜道の左右にあるだけで、暗い帰り道も怖くない。
コンビニもそうだが、誰かがいる、という安心感を与えてくれる。
そういう優しさを感じる。

写真素材 PIXTA
(c) taka写真素材 PIXTA


かつての日本の街道では、有難い道祖神様が1里ごとに旅人を導いていた。
21世紀の現在、お地蔵様はほとんどなくなってしまったが、自販機とコンビニがそれに取って代わったのだろう。
写真素材 PIXTA
(c) mon写真素材 PIXTA


自販機にむかって、一度はかがまなければ商品もおつりももらえないのは、
お地蔵さまにむかって自然に頭をさげてしまう、古き良き日本の習慣を残すためなのかもしれない・・・・?


4/12/2010

紅茶の国2




紅茶に関する永遠の疑問といえば、
「紅茶にはミルクかレモン、どっちを入れるのが正統派か?」

正しいかどうか、そしておいしいかどうかは、もちろん別だし好みの問題ですが、
私の経験上では、イギリスでは圧倒的にミルクが使われることが多いですねぇ。 



統計をとったわけじゃないので、ミルクが主流だと思う個人的理由をあげてみます。 



  • ミルクを提供されたことのほうが多いから。単純な理由ですが・・・
  • イギリス人は通常、紅茶を出してくれるときに、 
「ミルク オア シュガー?」と訊いてくるから。 つまり、レモンは選択肢にすら入っていない。 (ただし、だまってても出てくるときは、出てくる。) 
  • 気候的に言っても、イギリスはレモンが収穫できるような土地柄ではない、 
つまり、 レモンを提供するのは特別のもてなしになることも理由の一つ。 
(他方、ミルクは、たくさん生産している。)
  • ティーバッグの紅茶が真っ黒になるくらい濃く出るのも、ミルク説の裏付け。 
これは、ミルクを入れることを想定してティーバッグがつくられているせいだ、と聞いたことがあります。

というわけで、「イギリス人はふつうミルクティーを飲む」 
ということにしましょう。



・・・もちろん、レモンティーだっておいしいですよ。 
あとは、お好みです。

「レモンを入れて飲んでおいしいのは、アールグレイよ。お砂糖も入れてね。」

おばあちゃん友達のマージーが教えてくれたので、あたしはアールグレイはレモン、その他はだいたいミルクで飲んでます。

何かのご参考に、どうぞ。

紅茶の国 1

 (紅茶の国2後編ここからどうぞ)
紅茶の国イギリスのスーパーヘ行くと、いろーんな種類の紅茶が売られています。

紅茶だけでひとつのコーナーを占領してるくらいたくさん。 



かの有名なフォートナム&メイソンやトワイニングももちろんあるけど、その他のブランドも、地方の名前のついたのもいーろいろ。 
紅茶の種類も、葉っぱの産地から、フレーバーまでわけて、数限りなくあります。


最近では、コーヒーの方がトレンディーでおしゃれに思えるのか、若い子たちにはコーヒー人口も高いけど、年配になればなるほど、「Tea, please」

子供が学校へ水筒入りの熱い紅茶を持って行くくらいだから、みんな紅茶を飲んで育ってるわけね。



朝食の時、午前中、
昼食、おやつ、夕食、と1日にこのくらい紅茶を飲むのはイギリスでは普通。

10杯くらい飲む人だっています。

「一息つく」イコール「紅茶」という感じで、まあ、アメリカ人がやたらガブガブコーヒーを飲むようなものかも。 


陶器のティーポットにお茶っ葉をいれて紅茶を作る、気合いのはいった人もいるにはいるけど、 一般にもっとも使われてるのが、ティーバッグ。

お茶がよくでるように、テトラ型(三角)だったり、丸型(上の写真)だったり、ティーバッグのかたちもいろいろ工夫があるのね。

ちなみに、日本のように、紐がついているティーバッグより、ついてない方が断然多い。
一箱100バッグ入り、の紅茶の箱をぽんぽんカゴに放り込むのがイギリスのショッピング風景。 (次回につづく)

4/08/2010

やわらかくてモリーナ

うちの猫はモリーナといって、イタリア語で「やわらかくてふにゃふにゃ」という意味です。 だんなのアレックスがつけました。女の子です。

これはまだイギリスに住んでいたころのモリーナとの出会いのお話です・・・

その日、私が夕飯の支度をしていると、車のエンジン音と革靴で歩く足音につづいて、いつものタイミングでドアをノックする音がしました。

その家の裏口は、綺麗なスカイブルーのドアで、上半分がすりガラスになっているところに姿が透けて見えます。

古いスタイルの前方後円墳形の鍵穴にささった扉の鍵束。
がちゃがちゃいわせながらドアをあけると、アレックスは、
「ちょっと買い物に行ってきたんだけど、重いから手をかしてよ」
と言いました。

私はちょうどネギを刻んでいるところだったし、それ以前に靴を履いて出るのがめんどうだったので、「え〜〜。」
不満げに「なに〜?」
ダメ押しで「やだよ〜」と言ってみました。

そういいつつも、サンダルを履き、手をそのへんでふいて外に出ました。

外はイギリス北部の夏の常で、午後7時半なのにまだ夕焼けにはほど遠い明るさでした。

海に近いところなので風がいつもふいていました。

屋根のてっぺんにあるテレビのアンテナの上には、かもめがとまっている・・・そんな赤レンガ造りの家です。

裏口のドアと同じスカイブルーがぬってある車庫のシャッターの前には、赤のアルファロメオ、当時のだんなの愛車「トリノのプライド」とやらが、いつもと同じようにとまっています。

「そんで。なに買ってきたの?」
車のドアに手をかけたところで、声が裏返りました。

後部座席に、生き物が入っているとおぼしき、赤いプラスチックのケージがあったからです。

「サプラーイズ!」とアレックスは英語でおどけました。

モリーナがうちにやってきました。




4/07/2010

エスプレッソとババ

アレックスの会社のイタリアンチームがお金を出し合って買った、命の次に大事な「エスプレッソマシーン」が壊れた。 






なにしろエスプレッソ・コーヒーがなくては日も夜もあけないというイタリア人たち。

一日、二日はなんとかなったが、
三日目になるとイギリス支社内のコーヒーショップの「色のついた水」にお金を払うのはバカバカしいと、家で1日分のコーヒーをつくって水筒にいれて持ってくる人が続出した。


鍋奉行ならぬ、コーヒー奉行を拝命しているうちのアレックスは、なんとか面目を保とうと、先週は毎日会社に工具を持って行っていた。 
壊れた部分に見当をつけて、そこを開け、イタリアの業者からパーツだけを送ってもらおうという節約策だった。 



そんなことより仕事しなくていいの?と訊いてみたが 
 「上司命令なんだ」 
と、
コーヒーがすべての仕事に優先するという理論がなりたっているようだった。 




さてその1週間の試行錯誤は、機械に負けて終了した。


「マシーンをこじ開けようとしてたら、プラスドライバーのさきっぽがネジに食い込んで、そのまま折れちゃった」のだ。 



どんな安物のドライバーを使っていたのか知らないが、結果として、どうやら新しい機械を買うために予算委員会を組織しなければいけなくなったようだった。 



先週末は、インターネットで新しいエスプレッソマシーンを探すために膨大な時間が費やされた。 
さらにあちこちに電話をかけまくって、値段交渉がすすめられた。

それが、今日、状況が一転した。 

「ジャンニが、ペンチで力任せにネジを回したら、ネジがとれ、ドライバーの先っぽもネジから抜けた。」 
のだ。そして、こわれた部分を発注するのにも、成功したのだ。



このめでたいニュースに会社のイタリアチームは沸いた。 


イタリアがワールドカップで優勝した時以来のお祝いムードだった。 


サッカーで点差が2点、ロスタイムに入った時のイタリア人の躁状態。
まだ、マシーンはなおっていないのに、見切り発車だ。

うちのアレックスが、お祝いにチーム全員にコーヒーをごちそうし、みんなで乾杯とあいなった。さらに、ナポリ出身のダビデが、とっておきのナポリのお菓子を皆にふるまった。

写真のお菓子、その名も「ババ」だ。(バッバ、と呼ぶのがナポリ風。)


これは、キノコ型のスポンジケーキをシロップとラム酒で漬けたもの。子供にはあげられないくらいアルコールが強い。

会社でみんなでババをつまみ、最後の2個を、コーヒーをごちそうしたということで、うちのアレックスがもらって、家に持って帰ってきた。

それを、まわりまわってあたしが頂いた。 
もちろんエスプレッソと一緒に。
(写真は、家庭用エスプレッソコーヒーメーカー)

イタリア人の買い物かご

イタリア人って普段どんなもの食べてるの?
やっぱパスタとピザ?

今日は気になる普段のイタリア人のお買い物かごの中身をレポートします! 



下の写真は、うちのアレックスくんがこないだ里帰りしたときに、
(これは2008年のミクシィ日記をリサイクルしています)
スーツケースにがんがん詰めて帰ってきたお土産たち。

イタリアに住んでないイタリア人が「もって帰ってたべたーい!」と思う、イタリアン・フードはこちら。