当時、ぼくは高校生だった。
あの夏のように、図書館までの道路にはポプラの並木が濃い影を落とし、
アッズーロの空には、白い綿毛が風に舞っていた。
20数年ぶりに見ると、図書館はちょっと薄汚れて見えて、
でも、扉を開けると同じにおいがした。
通路にはあの当時のぼくたちのように人待ち顔の少年が立っていたが、
手には携帯電話やi Podをもち、
ベルトはドルチェ&ガッバーナをしているところが、ぼくらとはちがう。
扉の前でまで来ると、ぼくは期待で鼓動が早まっているのを意識した。
(c) そらとりく|写真素材 PIXTA
扉を押し開ける前に、「まさか、あのときと同じ人が働いているわけって、ないよね」
と自分に言い聞かせるようにつぶやくと、隣のぼくの妻はそのままの意味でとったようで
「あら、わからないわよ、図書館司書さんなんて、あんまり辞めたりしないもの」という。
妻はもちろん彼女を知らない。
かくて、カウンターに、彼女はいた。
ぼくは16歳のぼくの目になって、彼女を追いかけた。
ぼくより4−5歳年上の彼女は、黒い髪が華奢な肩に揺れる、少年たちに評判の美人司書だった。
彼女の気を引こうと声をかける少年たちに混じって、ぼくも長い夏休み中、毎日図書館に通った。
しかし、何年たっても、ぼくは彼女を見つめるだけで、声をかけることはできなかった。
今こうして再会した彼女は、当時の面影を残してはいたものの、
細かった肩は丸くなり、ヒール靴に入った足は痛そうだった。
でも、やっぱり綺麗だと思った。
図書館を出た後、本をかかえて左横を歩く妻に、
「黒髪の彼女、ぼくらのアイドルだったんだ。ぼくも好きでさ、毎日彼女を見に通ってたんだよ」
と正直に言った。妻は、あら、じゃあ会えてよかったじゃない、と微笑んだ。
「結婚指輪してなかったよ。離婚でもしたのかな。」とつい言うと、妻は
「そんなとこチェックしてたの?やっぱりイタリア人ねえ!」
と顔をしかめて、本を全部ぼくに押しつけて、笑った。
北イタリアでは、ポプラのことを「雪の木」という。
降った雪は、空を舞い終わると、
ぼくの思い出の道の両脇に白く降り積もる。
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