5/27/2010

ほたるの里

ヴィンチェンツォの実家は、ナポリから車で、平均時速140kmでもって2時間南下した、バジリカータ州にあった。
周りは野原か小さな葡萄畑しかない、丘のてっぺんに乗っかった街。

山ぎわからは清水がわき出していて、朝早く男たちがボトルを手にやってくる。水汲みはかなりの力仕事なのだ。

「これさえありゃ、水道なんぞいらないくらいなんだがね。最近は洗濯とかバラや葡萄の水やりにしか使わなくなったです。」

丘陵に広がるワイン用の葡萄畑も、自家消費用ばかりだとか。

「ワインは引退後のわたしの情熱ですわ」と、ヴィンチェンツォのお父さんが言う。
「バラはうちの家内の趣味で。」なるほど雨を含んだみどりの空気に、バラが薫るわけだ。

「年寄りしかいないのよ、ここは。若い人はみんな都市にでちゃうから。ワインも野菜作りもたんなる老後の趣味なの。」と、ナポリに住むヴィンチェンツォのお姉さん。


さて、結婚前夜の家族の夕食に招待された私とアレックス。

結婚前夜には必ず「独身最終夜の大騒ぎ」をするイギリス人に慣れていたので、驚くほど静かな夕食だった。

「さあさあ、みなさん召し上がってちょうだい!」台所からお母さんが現れる。

裏庭直送のアスパラガスとリコッタチーズを和えたパスタ、自家製ロゼワイン、地元産のチーズやハムのシンプルな夕食だったが、一口食べると「食のパラダイス」という言葉を連想させた。

翌日の結婚式を控えて、テーブルでは花嫁と花婿が見つめあいっぱなしだった。

「準備はいい?」と訊ねると、「まだ、結婚の誓約はしてないからね」ニヤリと笑う花婿。

「いつでもアタシから逃げられるように、荷造りしといたほうがいいわよ」と花嫁。そしてまた見つめあう。

花嫁のジェーンは、私の学生時代からの友人で、一言で表現するなら「クレイジー」、でもとても親切で丁寧なお嬢さんだ。
内気でもの静かなヴィンチェンツォが彼女にブレーキをかける役まわりなのでちょうどいい。


食後、「蛍を見にいこうよ」ジェーンが私を外に連れ出した。 外に出ると、山の夜がまだ湿った草むらの上に濃密に降りていた。

暗闇で声を出すと、何をしゃべっても重大な響きを帯びるので、自然と小声になる。
暗さに目が慣れると、あちこちに点々と光が浮かび上がった。

写真素材 PIXTA
(c) Aちゃん写真素材 PIXTA

「ここにいるよ!」「あっ、いたいた!」

青い闇の中を、緑色の発光色が、すぅーっと視界を横切って飛んで行く。

葉の下にいる1匹をそっと手の中に取って、すきまから覗いてみた。

ジェーンも覗き込む。まるで子供のように光をみつめて息をころす私たち。

「あーあたし、結婚するんだ!」ジェーンが突然感極まって叫んだ。

その瞬間、このジェーンのせりふは、手の中の蛍のかすかな光と一緒に、永遠に私の記憶に刻まれるだろう、という甘い予感がした。

私はなんだか照れてしまって、かえって芝居がかった調子で蛍を空に投げ上げた。
「ふたりともお幸せにね!」


蛍は飛ばずにポトリ、と地面に落っこちた。

「縁起悪ぅー」と二人とも大笑いした。腕をくんで、家に帰った。

空には星、地上には蛍が光る、美しい夜だった。

(2009年6月のミクシィ日記より)

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