きんぎょ騒動
2009年の春は、雨が多かった。
来る日も来る日も雨が降り、金魚親子が泳ぐ青い睡蓮鉢と、新しい木桶の水槽が庭でびちゃびちゃと音を立てていた。
(c) こばやし|写真素材 PIXTA |
金曜の午後だった。
ふと気づくと、近所の飼い猫が、裏庭の窓の近くにいた。いつもは庭を通過していくだけの猫だ。
気になって窓の側まで歩いて行くと、そのネコは走って逃げて行った。
あたしは真っ先に、金魚を心配した。ふと気づくと、近所の飼い猫が、裏庭の窓の近くにいた。いつもは庭を通過していくだけの猫だ。
気になって窓の側まで歩いて行くと、そのネコは走って逃げて行った。
外敵から金魚を守るために、水槽に網をかけようと思いつつ、網が見苦しいと手をつけずにいた負い目があったからだ。
サンダルをつっかけて濡れたコンクリートの上に出て、水槽を覗き込んだ。悪い予感は当たっていた。
真っ赤なおとうさん金魚が、大きな引っかき傷を作って、暗い水槽の底に沈んでいた。
ああああ! 声にならない悲鳴がもれた。
金魚の赤いからだの左側に、2本の長い爪痕があった。爪痕はウロコをえぐって、白い肉が見えていた。すくいあげて治療しようにも、バラバラになるのではと恐れるほど深い傷だった。
それでも、おとうさん金魚はまだ生きていた。
正気にかえった私は、同じ水槽にいるはずの子金魚を探した。
それでも、おとうさん金魚はまだ生きていた。
正気にかえった私は、同じ水槽にいるはずの子金魚を探した。
おとうさん金魚とオレンジになった子供たち |
となりの水槽では、おかあさん金魚と小金魚が6匹、何も知らずに泳いでいた。
おとうさん金魚は、口を不器用に開けたり閉めたり、エラをバタバタひらいて息をしていた。底にしいてある砂利の上に力なく横たわっているだけだった。
この長雨で、水槽の水位が上がっていたのに気がつかなかった、私のせいだった。
怖いもの知らずの金魚が、雨水の入った水槽の中でネコの手の届くところを泳いでいたのだろう。
ネコの爪の一閃は、手頃な大きさの赤い獲物をしとめたのだ。
ネコを恨む気にはなれなかった。私が網をかけていればよかったのだから。
金魚のおとうさんはまだかすかに呼吸を続けていた。
つぶらな黒い目は、青い睡蓮鉢の水の中、さっきまで泳ぎ回っていた緑の水草の下から、揺れる水面を通して空を静かに見上げていた。
私のことも見えていたかもしれない。
おとうさんおかあさん金魚 |
うつむいて水槽を覗いている私の髪に、雨はさわさわと落ちていた。頬をつたって、冷たい雨とあたたかい涙が落ちて行った。
金魚は痛みを感じないという。私は心からそれを願った。
でもそれなら、生と死にはどんな違いがあるのだろう。死ぬ時に意識がただフェードアウトしていくだけなのだろうか。
大きな金魚業者の水槽に「エサ金のコメット」として生まれた「おとうさん」。
たまたま我が家にやってきて、大型魚のエサになる運命をのがれた。
おかあさん金魚と出会って卵をたくさん孵した。
この1年間に、黒かった部分がなぜか赤くなり、白い部分が増えたりして、私を混乱させた。水面に出てきて、私の手からエサをとったりした。
休暇中あずけられた友人宅で、7歳の娘によって「エリック」と命名された。
ボウフラを食べ、ミジンコに喜んでジャンプした。
大きくなった我が子と一緒の水槽で泳ぎ、先日はまた、おかあさん金魚に愛をささやいていた。
なのに今日、こうして突然命を終えようとしている。
おとうさん金魚のいない睡蓮鉢 |
魚は、命のはじまりと終わりを、痛みを感じずにいることができるのだろうか?
今はそれは喜ばしいことだった。代わりに私が、痛みに身をよじって泣いた。
おとうさん金魚は、もう動かなくなっていた。弱いものを攻撃するはずの子金魚たちは、静かに遠くから見守っているだけだった。
金魚が死ぬことを、星になる、というらしい。
おとうさん金魚は星になった。
雨が上がっていて、軒先のハンギングバスケットからポタリ、ポタリ、としずくが落ちていた。
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(o;ω;o)ウゥ・・・
返信削除生き物たちの世界では、人間界よりも「死」というのは身近なものだと思うし、だかこそ、彼らは健気に、ただ純粋に生きているんでしょうね。
ぼくは、彼らは「死」というものに恐怖感を持っていないし、痛みもないと思います。それでも彼らが「死」から懸命に逃れようとするのは、ただ純粋に使命を果たすためだと思います。その使命とはたぶん、子孫をできる限り多く残すこととか、あと他にも何かあるかもしれませんね・・・
今回の大地震と原発のことで、最近は「死」ということについて、これまでになく真剣に考えるようになりました。
天寿を全うする、ということは、実は何物にも代えられないほど、幸せなことなのかな、思ったりしています。
やばい、長くなってすみません・・・
金魚を飼って、卵まで孵させるとは世話がお上手なんですね。睡蓮鉢に入れて飼っていらっしゃるのが感動します。
返信削除大事に育てた命ですものね、悲しみが伝わってきます。
魚には痛点がありませんね
返信削除日本でしたら三味線にするそうですが
イタリアでは
猫を追いかけたりしないのでしょうね
私も三味線にしたことはありません
でも、
かなりの数の熱帯魚をお星様にしてしまいました
お星様、ごめんなさい・・・
小さい金魚といえども、その痛みはどうしても感じてしまいますよね。誠に残念です。
返信削除でも小金魚が無事で本当によかった。自然とは残酷ですねえ。
私も昔飼ってた熱帯魚10匹をヌコに全部平らげられた事があります(涙)
思い出したら涙が(涙)
TAMAさん
返信削除生き物の無心さを見ていると心が和むのは、
彼らが損得もなく
ただ必死に生きているからでしょうか。
今回の地震と津波、そして原発の一件は、
世界中に報道されて
各国に自然を前にした人間の力の小ささと、
文明繁栄の無常感を与えました。
同時に、人々に多くの感動も与えているのは、
日本人がそこで必死に
もがきながらも懸命に生きている姿を見たからなのでしょう。
(って私たちは金魚かって話ですが・・・)
コメント、一言でも20行でも、本当に嬉しいです。
TAMAさんありがとうございました。
Rumikoさん
返信削除>睡蓮鉢
鉢が青くて、素敵だったので、
それで赤い金魚を2匹買ったんですよw
それが増えに増えて・・・
他にもたくさん金魚を死なせちゃったんですが、
これは明らかに防げたので、残念でした。
FREUDEさん
返信削除>痛点がない
んですねw
道理でジャンプして水槽の蓋に
『ガツン!』ってやっても
平気なんだ。。。
イテ!ってこっちが言っちゃいます。
FREUDEさんの熱帯魚も空で星になっているんですね。
となりにうちの金魚もいるかな。
nawoさん
返信削除ヌコ殿・・・!
何という事を・・・!
FREUDEさんじゃないですけど
「くぉら〜!三味線にしてくれるわ〜!」と
追いかけたくなりますね。
でも、無心に寝ている姿をみると許しちゃう。
憎めないですねぇ。
きんぎょ騒動、今回は悲しすぎて涙が…
返信削除命あるもの、いつかは必ず最後をむかえる。
きっと、星になったお父さん金魚も
ピッコラさんに長い間、大切に育ててもらえて
「ありがとう!」って想ってるんじゃないかな…
うう…お父さん金魚…。
返信削除まさしさん
返信削除生き物は、命の尊さを身をもって教えてくれますね。
日々の些細な幸せに感謝しなければ・・・
と、特にこういう災害があると実感しますね。
「ありがとう」・・・ううっもらい泣き。
コウスケさん
返信削除金魚は、家の庭に埋めてあげました。
今頃は、そこにお花が咲いているんじゃないかな。
あたしはもう、住んでいないんですけど。
「クドク」というそうです。
返信削除日本の言い伝えですが、
「猫」「魚」「ねずみ」
「猫」「犬」 こういう組み合わせで暮らすと
お互いにストレスになり
「クドク」という地獄なんですって・・・。
私も昔飼っていた2匹の猫は、魚ともハムスターにも興味をしめさず、ハムとは仲良く寝ていたので
調子にのっていました。(安心)
新たに拾った子猫1匹が、私が仕事で遅くなった日、ハムをたべました。
ゲージにいれていたのですが、子猫が倒したらしく。
逃げながら、必死で逃げて、食べられたのかと思うと自分が悲しくて悲しくて。
ハムも、ペットショップでほかのねずみがみんな逃げる中、そのコだけが私に近寄ってきてくれて、思わずつれてかえってしまったんです。
あの日以来、生き物とはイチイチで向き合おうって決心しました。。
今はその猫たちは、実家にいき、ひろびろとノビノビ暮らしていますが、ハムを食べたコだけは、いまだに毛糸を食べるそうです・・・
あいこさん
返信削除クドク、ですか。
そうですね、そういうのきっとありますね。
いまだにその猫が毛糸を食べるところに、何かの因果を感じますね。
うち、まだ金魚と猫がいるんだな〜。まずいかもしれないですねぇ。
それにしても、ハムちゃんはお気の毒なことでした・・・・
小さいからだでも、命の尊さは同じ。生き物としての尊厳や痛み、一緒に暮らす温かさを教えてくれるのは、人間と変わらないですね。
どうぞ、次のコたちを大事にして差し上げてくださいませ。