3/05/2011

モナリザはなぜ笑う


人口の9割がキリスト教徒で、義務教育のカリキュラムにもモラル教育と名のついた「宗教の時間」があるイタリア。*

カレンダーにある祝日に始まって(年間の祝祭日11日のうち、7日間がキリスト教理に基づいた祝日なのだ!)、ゆりかごから墓場までの宗教行事にと、国民生活のすみずみまでキリスト教が入り込んでいる。

以下がキリスト教の禁じること、いわゆる十戒。
  1. わたしのほかに神があってはならない。
  2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
  4. あなたの父母を敬え。
  5. 殺してはならない。
  6. 姦淫してはならない。
  7. 盗んではならない。
  8. 隣人に関して偽証してはならない。
  9. 隣人の妻を欲してはならない。
  10. 隣人の財産を欲してはならない。
これに加えて、キリスト教は、同性愛を禁じてきた。
写真素材 PIXTA
(c) yuki106写真素材 PIXTA
 
こういった宗教教育や伝統のもと、画一的思考と嗜好をもつに至ったイタリア国民の渦のなかで、同性愛者となった者の苦労は計り知れない。
 (個人的に同性愛者の知り合いもいるので、つい同情票が入るのだが。)

歴史的にキリスト教では、同性愛は重大なる性的逸脱として非難され、迫害されてきたという背景もある。
これはあたしの主観だけれど、今でも、同性愛者を批判する風潮は他国より強いと思う。

例えば最近、ベルルスコーニ首相(74歳)が少女好きを指摘されて、
「ゲイ(同性愛)になるよりも少女好きのほうがいい」と恥知らずなコメントをしたとき、
国民には否定派とおなじくらい賛成派がいたことを肌で感じた。

逆にイギリスでは、同性愛には寛容だが、少女を好む者は変質者とみなされることが多々あり、これはこれで困ったものなのだが。(日本はその点甘い。いや、皮肉でなく事実として。)

それをはねのけて、イタリアで同性愛者と名乗るためには、相当な苦労を覚悟しなければならないか、社会的パワーが必要だ。

ご存知だろうか、現代イタリア人の同性愛者といえば、まずこの面々。

ジョルジョ・アルマーニ
ジャンニ・ヴェルサーチ
ヴァレンティーノ・ガラヴァーニ
フレンチェスコ・モスキーノ
サルバトーレ・フェラガモ
ドメニコ・ドルチェ&ステファノ・ガッバーナ

ほかが壊滅状態の(笑)イタリアの経済を文字通り支えているファッション界の重鎮が、ほとんどそうだ。


歴史的な芸術家でも、 ルネッサンスの3大芸術家たち

ラファエロ・サンティ (大公の聖母/聖母子)
ミケランジェロ・ブォナローティ (システィーナ礼拝堂/ピエタ像/ダビデ像)
レオナルド・ダ・ヴィンチ (モナ・リザ/最後の晩餐)

彼らすべてが、同性愛者だったという。


見ればまさに、イタリアの経済と文化を築いてきた、イタリアの顔ともいうべき錚々たる人物ばかりではないか。

思えば、キリスト教文化と同義語あつかいのイタリア史の大きな柱が、
その教儀に反していると目された同性愛者の彼らによって支えられてきたとは、なんという皮肉、そしてなんとも胸がすくような痛快さではないか!

ダヴィンチの「モナ・リザ」が実はジョコンダ婦人と偽った、彼の愛人の男性を描いたものだった、という噂もあるように、
世界を牛耳る男性たちが、キリスト教のカーテンの裏側でジョコンダ婦人のようなアルカイックスマイルを浮かべているとしたら、イタリア人に惚れてしまいそうになる。


注* 他の国、例えばイギリス、にも宗教の時間はあるが、イギリスでは「全宗教」について学ぶのに対し、イタリアではカトリックのみの教えを学ぶ。異教徒の児童/生徒は、親の意向があれば免除される。


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18 件のコメント:

  1. ケンケン5/3/11

    1ゲットォォォ♪♪♪
       ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

          ∧_∧___   
       /(゚ー゚* /\  
       | ̄∪∪ ̄|\/
       |____|/  
           ズシャーーーーーッ


    (゜ロ゜;)エェッ!?
    カトリック、ダメなんですか・・
    でもぉ~~イジイジ・・・( ..)ヾ
    某国に来てる人達って多いっすけど・・・
    そっち系の方々。。。

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  2. 長い間、生きてきたけど「十戒」
    ほとんど守れてない。悔い改めます…

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  3. 今回の投稿はかなり興味深いものでした。宗教とイタリア、芸術家と経済との関係が、聞いていて目から鱗でした。
    ジョルジオアルマーニ、彼の部屋のバスルームには自分の若い頃の裸体のスケッチがあり、そのような気がしていました。
    同性愛者には他にはない”ひらめき”があるのですかね。アンジェリーナジョリーも、レディーガガもその面持っているみたいですし。
    長い年月ずっと恋愛の自由を奪われてきた昔の同性愛者は、芸術で以てその束縛された心を解いていたのかもしれませんね。

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  4. クリエイティブ関係の仕事の方の中にも、そういう性的な面で男性でも女性でも無い人というのは沢山いらっしゃいますよ。

    それはそういう活動の中で、自分の発想の中にある性別が邪魔になってしまうからなんだと思います。

    そうやって思考で性別を超えていくうちに、実際に生活でも性別を超えてしまうんじゃないかと思いますけどね。

    私もたまに自分の性別がものすごく邪魔に感じることもありますからねー。

    ああ、女性だったらここをこういう風に作れるだろうになぜそれが思い浮かばなかったのか・・・とかね。

    できれば男でも女でもない存在になりたい・・とか思う事がありますです。はい。

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  5. フランスだと、民事連帯契約法で、結婚していないカップル(同性カップル含む)の権利がある程度認められていたりするようで、イタリアに比べると寛容なんでしょうかね。
    ファッション界だと、例えばジャン=ポール・ゴルチエが結構前からカミングアウトしてますが、一方で彼はシュバリエ(騎士)の称号を授与されてたりしますもんね。

    まあ、フランスは信仰の厚いカトリック信者がかなり減少しているとも言われてますし…。

    同じヨーロッパでも、お国変われば事情も変わる…なんですね。

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  6. ケンケンさん

    そうそう、おっしゃるとおりで、
    実は同性愛者人口は、他国に負けないくらい多いらしいです。
    某国(どこだ〜?)のように自由恋愛が認められる国が増えるといいんですけどね・・・

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  7. まさしさん

    あら。あたし仏教徒なのに、殺生はするわ、占いを信じるわ、さんざんですよ!?
    人間臭くて、いいでしょwww 
    と、ダヴィンチも言うはずです(勝手な想像)

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  8. Rumikoさん

    >ひらめきがある
    きっとそうなんでしょうね。偶然とは思えませんもんね、この面々を見ると・・・。自由な発想があるんでしょうか。

    >芸術で束縛された心を解いていた
    表現することは、心をさらけ出すってことだ、と聞いたことがありますが、Rumikoさんにもその気分がわかっちゃうのかな?

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  9. nawoさん

    そうなんですか!
    性別が発想を阻害しちゃうんですか・・・
    うわあ・・・想像がつきそうでつかないです・・・
    深い。
    深いですよ〜〜〜! (なにも言葉がでてこなかった)

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  10. みやさん

    フランス人は、イタリア人より断然リベラルなんだそうです。
    だから同性愛についてもずっと寛容。

    歴史的に民衆が強い=民意がオーソリティー(権威)を超越するのもフランスの特徴だそうで。
    (なんでもこれはフランス革命からの伝統らしいですが)

    一方、イタリアにはやっぱりバチカンがありますから。
    と、アレックスが隣で言っています。

    みなさんによろしく〜だそうですww

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  11. ケンケン6/3/11

    こんばんは。

    なるほどです、バチカンがありますものねぇ。
    とは言え、イタリアにも当然いますよねぇ。。

    Ps:アレックスさ~~ん。こんばんわぁ。
    アレックスさんは、奥方(ピッコラ氏)よりも綺麗な。
    まぁ、居ないとは思うんですが。。
    それはそれは綺麗な、めっちゃ綺麗なLB
    レディーボーイ。カマ。
    一回だけでいいの。
    どうしても、オ・ネ・ガ・イ♪(* ̄・ ̄)
    こうアプローチされたら、どうします・?
    メッサ綺麗なLB方から。。。

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  12. そんなに昔から同性愛者はいたんですね。
    近代の遺伝子に影響が出てくる環境がもたらす事象だと思ってました。恥
    自分からしたら、女性のあのしなやかな身体に興味を抱かないなんて信じられない!
    て感じなのですが。w
    うちの会社にも同性愛者はいます。
    でも、自分から距離置いてるような感じですね。
    むー、この問題は正直、深く考えるつもりもないってゆー自分がいます。
    親しい人がそうなら、また別なのでしょうね。
    すみません、まともなコメントが出来そうにないっす↓

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  13. 含蓄の深い記事です。同性愛社が芸術に造形が深いと知って、なるほどと。日本人にもそういう傾向はあるようですね。ここ最近、カミングアウトできる土壌が育ってきましたが、まだまだ社会的に束縛が強いようです。すべての縛りをほどいたとき、人間は同性愛者のほうが多いのかもしれませんね。

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  14. ケンケンさん

    アレックスに聞いてみましたw
    「ぼくは、そういう誘惑にはのらないと思います」

    え?でもめっちゃキレイなんだよ?いいの?もったいないじゃん。
    「気持ちはわかるけど、ぼくは、欲望より愛情の充足をもとめるタイプなので、愛情がないとできないなあ。」

    でも、もっとずっとすっごく若い時だったら?
    「若くなくてよかった」
    だそうですwww

    若い時だったら、違った返答だったということでしょうかwww

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  15. たげしさん

    つきつめると難しい問題です。
    あたしも知合いに出会って話をするまで、何にも知らずに(考えずに)きたんですよ。お酒ぬきでこんな話題、できそうにないですね。

    ああでも、同性愛指向は病気ではないので、機会があったら会社のその方にもやさしくしてさしあげてくださいw

    難しい話にコメントありがとうございます。 そしていつもコメント感謝しています! (ぺこり)

    返信削除
  16. netowlさん

    5日にコメントいただいていたんですね。
    なぜかスパムに分類されていてお返事が遅くなりました。(設定いじってみます。失礼しました)

    アラビア半島の宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)が同性愛を禁じてきたのは、砂漠の厳しい環境にある民が子孫繁栄をしていくためだったとか。

    調べてみると、仏教では同性愛は迫害どころか礼賛されてきたという研究もあるようですね。

    おっしゃるとおり、人間は異性にも同性にも愛情を抱くのが自然だったのかもしれません。忘れてしまっただけで。

    返信削除
  17. あいこ6/4/11

    芸術って、常に新しい刺激が必要だし、それが自然とできる人が芸術家として物を生み出し、認められるものだと思います。
    なので、「絵がすきだから」とかそんな好きレベルでは、よくてデザイン事務所どまりなのかなぁ・・・と。
    日本でも、芸大はたっくさんあり、そこの学生もいっぱい卒業してますがその中から日の目をあびることのできるひとってほんの数人だと思うんです。
    それは、生まれ持った性質だとおもうので努力してどうにかなるものではないけれど、そういう人って結構孤独なんですよね。周りからずっと「変人」扱いされてきたと思うし、その変人=天才に変わるのですが、自分がそんなだからこそ、相手も変わり者であってほしい。それが、お互いにいい刺激になるのでしょうねぇ・・・。

    同性愛もそのひとつの生き方表現なのかも。
    もう一人の自分を求めているというか。
    女性だったら「こんな女性になりたかった」
    男性だったら「こんな男になりたかった」
    そういう意識があるのではないかなぁ。とも。
    真意はわからないですが、そう考えたら
    奥が深いし、すこし切ないですね。

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  18. あいこさん

    切ない、というのは本当にそうですね。
    性別ばかりは、求めても得られないものなんですもんね。

    変人って呼ばれる人、そして私から見ても「変!」と思う人はいますが、それって実は物差しの問題なのだなあと、外国に住んでから思うようになりました。

    例えばイタリア人には「変人」がすごく多いと感じるんですが、
    イタリアではそれは「ふつう」の範囲に入っている。
    逆に日本でふつうの人でも、他の国では、はみ出し者になってしまったり。
    だから絶対的な「変」というのは存在しないのかなあと。

    レオナルド・ダ・ヴィンチも孤独な人だったと聞きますし、
    人間を一つの国の常識や物差しで計ってしまうのは、罪なことなのかもしれませんね。

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