ウワサのトリノの聖骸布のについて解説しています。 一般展示のウラ情報はコチラへ。 |
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200万人の巡礼者たちが待ち望んだ最新の肖像を備え、21世紀最初の聖骸布展示がトリノ(イタリア)で行われている。
その「布」は、2002年に大規模な復元作業が行われて以来、初めて衆目の触れるところとなった。
復元により、布に写し出された痛みに苛まれる「人物」像がはるかに明確になり1532年のシャンベリーでの火災による傷にも修繕の手がはいった。
聖骸布とそこに映し出された「謎の人物」は、トリノ市の一員である。それは、万人の所有物であると同時に、トリノ人の宝である。
それは劇的な映像として世界に目撃された。1997年4月11日の夜のことだった。
何千もの市民が燃えさかるチャペルを見つめ、大聖堂の前で悲嘆に暮れたあのときだ。
過去の聖骸布展示(1978、1998、2000年)にも、トリノ市民のなんと半数が大聖堂の裏手のGiardini Realiから長い長い列を作ってきたし、
毎回の 聖骸布展示に先駆けて、文化的、商業的、芸術的運動のイニシアチブが率先してとられ、実行されてきたことからも明らかである。
何百人ものボランティアたちが、展示を助け、
文字通り世界中から訪れる巡礼者たちを案内し、車いすを押す姿からも、トリノと聖骸布の強い絆が見える。
(以下引用)
しかしこれは、いったい理解し難い現象である。
何十年もの間、世間一般の人々は一体どこに大聖堂があるのか、それすら知らなかった。
何かの折りに人々の口の端にのぼるとしても、聖骸布と
文化(そう呼ぶと仮定して)、トリノのミステリー、秘密結社や、聖杯伝説などと関連づける者は、ほとんどいなかった。
聖骸布が存在するということが伝わっているだけだった。
それはまるで、トリノ市民がこぞって、この深淵なるミステリーをより深いところに隠しているかのようだった。
それも長きにもわたって。
1898年の写真のネガの発見以来、 聖骸布にむけられる関心は増し、
化学分析によってさらなる興味を呼んだ。
しかし、それ以前は、「布」は他の多数の聖遺物同様ひとつの信仰対象であって、しかもさほどよく知られてはいなかった。
というのは、布の「王家の聖遺物」としての性格が強かったせいであり、
それは実際サヴォイ王家の繁栄と衰亡に浅からず関連している。
聖骸布はサヴォイ家とトリノに守られてきたのだ。
(引用ここまで。La voce del popolo speciale 10 aprire-23 maggio 2010)
近年、聖骸布に関する知識は、花粉同定分析、放射性炭素年代測定法、
立体映像分析、そして血液分析等、科学研究対象の分野が拡大するにつれ、 急速に広まった。
ところが、謎は氷解するどころか、逆に深く、さらに複雑になっていくように見える。
それはまるで、科学はこの聖骸布の秘密を解くための正攻法ではないと示唆しているかのようだ。
人の知るわずかな知識や、科学界の発見は「布」に関する理解に直結してくれはしないし、さらなる謎を呼ぶだけなのだ。
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